琵琶湖産の鮎の産卵期は、同緯度地域の海産鮎と比べると1カ月ほど早く、9月上旬から始まります。秋、お腹に卵をびっしり抱えた雌の鮎は、子持ち鮎と呼ばれ、夏の鮎とはまた違った味わいで珍重されています。
あゆの店きむらでは甘露煮などの加工は「少量手づくり」を基本に丹念に仕上げています。地醤油と地酒をたっぷり用いた煮汁は、追い汁せず毎回新たに調合しています。手間と暇をかけないといい味は出せません。全ては天然鮎に負けない琵琶湖産養殖鮎へのこだわりによるものです。
「子持ちあゆの姿煮」は、ふっくら、やわらか。 自然の麗姿もそのままに、日持ちよりも美味しさに心を込めてとろ火でじっくりと炊き上げております。 お箸で簡単にほぐれるほど柔らかく、頭から尾まで余すことなく召し上がっていただけます。 滋味豊かな完熟の子持ちあゆをコトコト煮上げた古来伝承の味の逸品です。
ところで、甘露とは? 甘さや甘辛さを表現する言葉で、甘露煮はその黄金色の色艶から甘辛く煮たものくらいのことは想像がつきますが、奥は深そうです。
甘露は、サンスクリット語の「アムリタ」。インドの伝説では「天から与えられる甘い不老不死の霊薬」、中国の伝説では、「天子が仁政を行うめでたい前兆として、天が降らす霊液」のことをいうそうです。仏教では仏の教えを喩えて「甘露の法門」といい、生死を越えた悟りの境地を表す言葉とも聞きました。「毒薬変じて甘露となる」という諺は、辛い体験や苦しい体験も、自分の心の栄養や糧となるという意味です。
甘露は天から降ってくる甘い黄金色の蜜で平穏をもたらす神秘的なイメージをもった言葉だということです。
ところで実際に、「美味しい」という表現のひとつに「甘露」があります。どのような美味しさの表現かわかる気がしませんか?
しかし、昔の人は醤油、酒、みりん、砂糖や水飴を加えた汁で照りが出るように煮たものをなぜ甘露煮と名付けたのでしょう。想像するしかないのですが、その輝きと美味しさに「甘露+煮」と誰もが思ったのかもしれません。アニメ『鬼滅の刃』に登場する鬼殺隊「柱」のひとりに「甘露寺蜜璃」がいますが、「甘露」から「蜜」とつながる絶妙なネーミングも納得です。
夜空の月が美しい季節です。不老不死の薬を手杵で打つ兎を愛でながら「子持ちあゆの姿煮」で一杯……。甘露なひとときをお過ごしください。
自然の麗姿もそのままに、日持ちよりも美味しさに心を込めてとろ火でじっくりと炊きあげています。 お箸で簡単にほぐれるほど柔らかく、頭から尾まで余すことなく召し上がっていただけます。 ふっくら、やわらか、粋で贅沢な鮎の名品です。
漫画『美味しんぼ』は、1983年から小学館「ビッグコミックスピリッツ」で連載がスタート。テレビアニメは1988年10月から1992年3月まで放送された。思えばずいぶん昔の作品だが、グルメとは何なのか、美食について深い蘊蓄が語られる場面もあり、食の基礎知識は『美味しんぼ』で学んだという人も多いのではないだろうか。かく言う私もご多分に漏れず、究極のメニュー、至高メニューなどという言葉は当時新鮮で、このアニメで得た知識に助けられたことは多い。実は「寝付きの鯖」を知ったのも山岡士郎のおかげだった。
『美味しんぼ』のコミックとアニメで少し違いはあるが、アニメでは「究極vs至高対決!! 野菜編」で「鮎だし」が登場する。カブ料理の対決である。
東西新聞文化部の記者・山岡士郎と栗田ゆう子は創立100周年記念事業として「究極のメニュー」作りに取り組んでいた。ライバル紙の帝都新聞は海原雄山の監修による「至高のメニュー」という企画を立ち上げる。雄山は、美食倶楽部を主宰する美食家である。山岡は実の息子だが、母親の死をめぐる確執から絶縁状態にある。「究極」対「至高」の対決は、海原雄山と山岡士郎の父子対決の場でもあった。審査員のひとり、京都の億万長者京極万太郎は謎の多い人物だが、鮎には特別な思い出を持つ美食家である。
先攻の海原は「カブとマッシュルームペースト」を出した。審査員は「まさにこの味は至高のもの。素晴らしい」と評したが、「海原雄山不覚をとった。マッシュルームに熱を加えすぎた。これでは至高のメニューとはいえない。後日、改めてやり直させてもらう」と退出し、対決は延期となる。
その前に海原は「これだけいいカブを手に入れると、得てして凡庸な料理人は間違いをおかしやすい。例えば、いいだしをとって、それだけでさっと炊くだけという料理を作ったりする」と話していた。
実は、山岡の用意した究極のメニューは海原が指摘した通り、カブをだしで炊いただけのものだった。しかしそのだしは、京極が「鮎や!」と見抜いたように、鰹と昆布、干し鮎で引いただしだった。ストーリーは、延期になった対決で山岡は新たなカブ料理を工夫し究極のメニュー側を勝利に導く。
干し鮎のだしは、ほのかなやさしい香りがし、あっさりとしながらコクもあり、上品な味わいだといわれている。海原の工夫より、山岡のシンプルにただ炊いただけのカブ料理を食べてみたいと思ったのは、鮎贔屓の私だけだろうか。
鮎のだしを吸い物や煮物に使うときは鰹と昆布のだしと半々(7対3まで)がおすすめだが、好みに応じて割ればいい。山岡はカブを炊くときに、鮎を焼いてから干したものを使ったが、手軽に究極のメニューを楽しむには、あゆの店きむらの「干しあゆ」がおすすめである。
香魚と呼ばれるその香りが特徴の鮎を干して香ばしく仕上げました。
そのままでも、又、炊き込みごはんやだしとしてもご利用いただけます。 干しあゆのだしは上品、滋味豊かでまろやかなコクがあります。 鮎ごはんや鮎そうめん、そして寒い季節にはお鍋のだしとして、 様々な味わいをお楽しみいただけます。
材料
米:2合 / 醤油:大さじ2 / みりん:小さじ2 / 酒:小さじ2 /「干しあゆ(姿)」:3~4尾 お好みで / 昆布:適量 / 油揚げ:お好み / にんじん:お好み / 山椒の葉:お好み(千切りの大葉でも可)
作り方
①「干しあゆ」と昆布を2〜3時間水に浸しておく。
②米は事前に洗って、ざるで水切りしておく。
③にんじん、油揚げは短冊切りに、山椒の葉は飾り用。
④洗った米に①の戻し汁、醤油、みりん、酒、にんじん、油揚げを加え軽く混ぜ、最後に浸しておいたあゆを上にのせて炊く。
⑤炊きあがったら、あゆの頭と尾を取り、身をほぐし、ご飯と軽く混ぜ、山椒の葉(または千切りした大葉)を散らせて出来上がり。
お鍋に敷くだし昆布の下に「干しあゆ」を一尾しのばせてください。美味しい鮎だしで湯豆腐を楽しんだ後は、やわらかくなった干し鮎をそのまま丸ごとお召し上がりいただけます。
オーブントースターや網で軽く炙ってからお召し上がりください。お好みでマヨネーズ、七味、醤油、レモンなどを添えると楽しいです。
研いだお米の中に干しあゆを入れて30分ほどひたす。米1合に対し、干しあゆ一尾(小ぶりもの)を用います。お好みで油揚げ、ゴボウなどの具材を加え、醤油等を加えて炊き上げてください。
炊き上がりに三ツ葉や針生姜を散らして。ごはん用の土鍋で炊き上げる鮎釜めしは絶品です。
干しあゆは4~5時間水に浸けておく。その後とろ火にかけ柔らかくなるまで煮て、酒、醤油、砂糖などを加えて味付けしてください。また、昆布巻としてもご利用いただけます。
干しあゆと醤油・酒・みりん等で仕上げただしに、ねぎ、みょうがなどお好みの野菜を入れてだしつゆとしてご利用ください。 夏は素麺、寒い季節はあたたかい煮麺にして。だしをとった干しあゆは丸ごとお召し上がりいただけます。 上品で深く落ち着いた味わいをお楽しみください。
あゆの店きむらのある城下町彦根の景観はおよそ400年前に誕生した。今も城下町の道筋は江戸時代のままで「彦根御城下惣絵図」(天保7年〈1836〉)を頼りにまち歩きを楽しむことができるほどだ。彦根城にのぼると琵琶湖が広がっている。風光は江戸時代のそれとそう変わっていないだろう……竹生島も遠く比良の山々を背景に浮かんでいる。
滋賀県と彦根市は江戸時代250年の安定した統治の仕組み(平和)を象徴する存在として、2025年に彦根城の世界文化遺産登録を目指していたが、今年7月、政府はユネスコの諮問機関が事前に関与して助言する「事前評価制度」に申請することを決定した。申請から登録まで少なくとも4年が必要で、彦根城の世界文化遺産登録は早くても2027年になるという。それは、今を生きる人々の思惑から生まれた結果であって、彦根城が我がまちのシンボルであり、神が斎(いつ)く島の信仰も未来永劫変わることはない。
竹生島には西国三十三所観音霊場第三十番札所の宝厳寺と都久夫須麻(つくぶすま)神社がある。聖武天皇の命により神亀元年(724)に行基が島を訪れ、弁才天を祀ったのが起源である。明治以降、都久夫須麻神社は市杵嶋姫命を、宝厳寺は弁才天を祀っている(竹生島は「才」の字)。 七福神の弁才天は琵琶を弾く姿で描かれることが多いが、宝厳寺の弁才天は八臂(はっぴ)。腕が8本あり、頭上に鳥居と人頭蛇身の宇賀神を載せた独特の姿をしている。これを「宇賀弁才天」という。『びわ町昔ばなし』(びわ町教育委員会/1980年)に「びわ湖の大なまず」という話がある。 昔、なにわの海にものすごく長い大蛇がすんでいた。宇治川から竹生島まで首をのばし、寺に泊まっている人を食べてしまった。水を飲もうとしたところ湖底にいた大鯰(なまず)が現れ、この大蛇の頭にかみつき、神崎の浜まで投げ飛ばした。大鯰は琵琶湖の守り神である龍神の化身だった。 いつの頃からかはわからないが、近江の人々は鯰は龍神の化身であると語り継いだ。都久夫須麻神社には「龍神拝所」と呼ばれる建物があり、琵琶湖の龍神を拝するための鳥居が建っている。 「竹生島は金輪際の島(大地の最深部から立ち上がった長大な柱に座す島)で、大鯰が七重に取り囲んで守護している」(竹生島縁起)という。一般に、弁才天の神使は龍だが、鯰が神使に加わるのは琵琶湖独特の信仰だ。
彦根城の北東、佐和山から連なる大洞山に「真言宗醍醐派長寿院」(彦根市古沢町)がある。元禄8年(1695)、彦根藩第4代当主井伊直興の創建だ。彦根日光と呼ばれ、「大洞弁財天」「大洞の弁天さん」と今も親しまれている(長寿院は「財」の字)。弁財天堂(国の重要文化財)には立派な龍と鯰の彫り物がある。おそらく竹生島の縁起に倣い直興が彫らせたものに違いない。 世界文化遺産登録は未来に保存する大切な風光のなかに、埋もれてゆく歴史を深耕するためにあるように思えてならない。