鮒ずしの物語
ハレの食べ物
琵琶湖畔ではフナをはじめ、ウグイ、ハス、モロコ、アユ、ハイ、ビワマス、コイ、ドジョウなどを米を糠床のようにして漬け込む「なれずし」の食文化が受け継がれている。発酵が進むにつれて「馴れる、熟れる」ことから「なれずし」と呼ばれる。鮒ずしは、平成10年(1998)、滋賀県の無形民俗文化財の「滋賀の食文化財」として選択され、近江を代表する「なれずし」となった。神社の祭礼に神撰として奉納されることも多いハレの日の食材である。優れた保存食としてだけではなく、客人のもてなしにも登場する。
琵琶湖には、ゲンゴロウブナ(源五郎鮒)、ニゴロブナ(似五郎鮒)の2種の固有種が棲息している。両種とも鮒ずしに用いられているが、特に未熟卵(腹子)を抱えたニゴロブナが最上とされる。
「あゆの店きむら」では、主に湖の北で捕れた天然のニゴロブナを厳選し漬け込んでいる。鮒に詰める飯は、コシヒカリ、キヌヒカリ、ニホンバレの近江米3種類をブレンドしたものを使用。近江盆地特有の暑い真夏、寒暖の差が激しい秋、そして伊吹颪(おろし)が厳しい冬を過ごし、1年以上の月日と手間暇をかけてできあがる。まさに近江の風土が育む特産品なのである。
鮒ずし通は尾ビレから二切れ目を好むと聞く。鮒ずし好きは、醗酵した飯にも目がないという。暖かいご飯とともに食べるとこの上ない旨さなのだという。
源五郎鮒
ところで、ニゴロブナの名は、その姿形がコイに似ているから「似鯉鮒」、あるいはゲンゴロウブナに似ているから「似五郎鮒」に由来するという二説がある。
曲亭(滝沢)馬琴の『壬戌羇旅漫録(じんじゅつきりょまんろく)』に「近江の源五郎鮒は。一説に佐々木家一國の主たりし時錦織源五郎といふ人。漁獵のことを司る。湖水に漁りたる大鮒を。年々京都将軍に獻ず。その漁獵の頭人たるによりて魚の名によび來たれり。」と書かれている。「錦織源五郎」から「源五郎鮒」と呼ばれたという話は他にも数々あり、錦織源五郎が織田信長に献上したというものまである。「佐々木家一國の主たりし時」とあるので平安時代後期以降、ゲンゴロウブナは湖魚として認識されていたということになる。
錦織源五郎
面白いのは「錦織源五郎」だ。
宮城県登米市東和町錦織沼山の「機織沼」(水面の広さ3・6ヘクタール)は、「舟不入沼」とも呼ばれ、伝説・伝承の多い沼である。そのひとつに「江戸時代には近江の錦織源五郎が、ゲンゴロウブナの繁殖を試みた」、あるいは「コイの養殖を試みた」というのだ。「錦織沼山」の地名は源五郎の姓から名付けられたに違いない。ウェブで調べてみるとこの沼、「源五郎鮒の名産沼と称せられた」と書いてあった。
「近江の国からきた錦織源五郎」。世界中で愛されているイギリスの作家J・K・ローリングによって著された『ハリー・ポッター』のなかで、ハーマイオニー・グレンジャーは「根拠のない伝説はない」と言っている。中世から江戸時代まで錦織源五郎とゲンゴロウブナは関係を保っている。錦織は地名にまでなっているので、源五郎鮒の名前の由来は錦織源五郎あると考えて間違いはないように思う。ところが「似五郎鮒」に関する伝説や伝承が見つからない。ゲンゴロウブナに似ているからというが、姿形はコイに近い。最上の鮒ずしとなる鮒に、コイやゲンゴロウブナに似ているからという、安易な名を与えるだろうか……。
煮頃(二ゴロ)
ここからは妄想だが、近江の人は他国の人々にこのニゴロブナを鮒ずしにしたときの美味を知られたくなかったのではないだろうか。「コイに似ているだけの、ゲンゴロウブナに似ているだけの鮒でございます。煮るのが頃合いの鮒でございます」と……。
故に、ニゴロは「煮頃」かもしれない。
平安時代に編纂された『延喜式』に「鮨鮒」が献上されたとあるが、フナの種類は書かれていない。ニゴロブナがもてはやされるようになったのは江戸時代以降と聞いている。ニゴロブナは稀少でその鮒ずしはよほど旨かったに違いない。